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リヤーヌイ (駆逐艦・初代) : ミニ英和和英辞書
リヤーヌイ (駆逐艦・初代)[よ, しろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

リヤーヌイ (駆逐艦・初代) ( リダイレクト:S1 (水雷艇) ) : ウィキペディア日本語版
S1 (水雷艇)[えす1]

水雷艇S1フィンランド語:)は、フィンランド水雷艇()である。元はロシア帝国海軍の所属艦艇で、フィンランドがロシア帝国から独立を果たすことになったロシア革命からフィンランド内戦にかけての動乱期にフィンランド独立派によって捕獲され、その海軍へ編入された。'')は、フィンランド水雷艇()である。元はロシア帝国海軍の所属艦艇で、フィンランドがロシア帝国から独立を果たすことになったロシア革命からフィンランド内戦にかけての動乱期にフィンランド独立派によって捕獲され、その海軍へ編入された。
== 概要 ==

=== 前半生 ===
S1は、ロシア帝国海軍向けに建造されたソーコル級水雷艇の11番艇として建造された。建造当初の名称は、ロシア語で「」を意味するソヴァーサヴァー)であった。1899年サンクトペテルブルクネーフスキイ造船・機械工場で起工、1900年6月24日進水1901年10月12日より海上公試を実施、1902年5月にバルト艦隊へ配備された。配備に先立ち、3月22日(旧暦3月9日)付けで名称はリヤーヌイ(リヤーヌィイ)に変更された。これは、「熱狂的な」といった意味のロシア語の形容詞である。
1907年10月10日には、ソーコル級のような大型の航洋水雷艇は新たに設置された艦隊水雷艇()に類別を変更された。これは、イギリスなどでいうところの駆逐艦(ロシア語では「」という)に当たる艦種であった。1908年から1909年にかけて、リヤーヌイはヘルシンキ「ソーコル」社の工場においてオーバーホールを受けた。1913年には、サンクトペテルブルクの「エクルント&Co」社の工場においてボイラー部品の交換と武装の変更が施工された。この際、搭載機関は完全に修繕され、掃海装備が追加された。また、搭載する旋回式水上魚雷発射管もより大口径のものに換装され、機関銃も追加された。
第一次世界大戦が開戦すると、リヤーヌイはバルト艦隊の1 隻として沿岸部の偵察・哨戒・輸送・通報任務に就いた。しかし、その能力と運用内容は艦隊水雷艇と呼ぶにはそぐわないものとなっており、1914年9月23日付けで艦種は正式に通報艦()に変更された。そして、バルト海南部における通信・連絡任務を司る水上連絡手段に選定された。1916年1月には、今度は掃海艇として掃海分艦隊第2戦隊に配備された。''サヴァー)であった。1899年サンクトペテルブルクネーフスキイ造船・機械工場で起工、1900年6月24日進水1901年10月12日より海上公試を実施、1902年5月にバルト艦隊へ配備された。配備に先立ち、3月22日(旧暦3月9日)付けで名称はリヤーヌイリヤーヌィイ)に変更された。これは、「熱狂的な」といった意味のロシア語の形容詞である。
1907年10月10日には、ソーコル級のような大型の航洋水雷艇は新たに設置された艦隊水雷艇()に類別を変更された。これは、イギリスなどでいうところの駆逐艦(ロシア語では「」という)に当たる艦種であった。1908年から1909年にかけて、リヤーヌイはヘルシンキ「ソーコル」社の工場においてオーバーホールを受けた。1913年には、サンクトペテルブルクの「エクルント&Co」社の工場においてボイラー部品の交換と武装の変更が施工された。この際、搭載機関は完全に修繕され、掃海装備が追加された。また、搭載する旋回式水上魚雷発射管もより大口径のものに換装され、機関銃も追加された。
第一次世界大戦が開戦すると、リヤーヌイはバルト艦隊の1 隻として沿岸部の偵察・哨戒・輸送・通報任務に就いた。しかし、その能力と運用内容は艦隊水雷艇と呼ぶにはそぐわないものとなっており、1914年9月23日付けで艦種は正式に通報艦()に変更された。そして、バルト海南部における通信・連絡任務を司る水上連絡手段に選定された。1916年1月には、今度は掃海艇として掃海分艦隊第2戦隊に配備された。''リヤーヌィイ)に変更された。これは、「熱狂的な」といった意味のロシア語の形容詞である。
1907年10月10日には、ソーコル級のような大型の航洋水雷艇は新たに設置された艦隊水雷艇()に類別を変更された。これは、イギリスなどでいうところの駆逐艦(ロシア語では「」という)に当たる艦種であった。1908年から1909年にかけて、リヤーヌイはヘルシンキ「ソーコル」社の工場においてオーバーホールを受けた。1913年には、サンクトペテルブルクの「エクルント&Co」社の工場においてボイラー部品の交換と武装の変更が施工された。この際、搭載機関は完全に修繕され、掃海装備が追加された。また、搭載する旋回式水上魚雷発射管もより大口径のものに換装され、機関銃も追加された。
第一次世界大戦が開戦すると、リヤーヌイはバルト艦隊の1 隻として沿岸部の偵察・哨戒・輸送・通報任務に就いた。しかし、その能力と運用内容は艦隊水雷艇と呼ぶにはそぐわないものとなっており、1914年9月23日付けで艦種は正式に通報艦()に変更された。そして、バルト海南部における通信・連絡任務を司る水上連絡手段に選定された。1916年1月には、今度は掃海艇として掃海分艦隊第2戦隊に配備された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「S1 (水雷艇)」の詳細全文を読む




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